『 また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、 姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、 これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」』マルコ7の20-23
人が罪を犯したり、悪くなるのは社会や教育や悪いとか、家庭や環境が悪いとか、偉い先生たちは色々意見を述べるが聖書を読むとそうじゃないと言うのが分かる。
『人から出るもの』『人の心から出るもの』それが悪いと教える。
『なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。』(コロサイ1:16)
この『見えないもの』つまり心とか魂とか霊、人の『内側』が壊れてしまっていると聖書は教える。
その結果『見えるもの』人の住む世界、社会もおかしくなってしまった訳になる。順番は人の『内側』が先になる。更に聖書は教える。
『人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。』(エレミヤ17:9)
私たちの心は少し曲がっただけじゃない。『何よりも陰険で、それは直らない』と言うのだ。しかも『だれが、それを知ることが出来よう』と言う。
人は心が曲がっているのが自分では知りえないのだ。
だから偉い先生たちが研究して人が悪くなるのは社会や教育や家庭が悪いから人が悪くなると意見するが本当はそれだけじゃないのが分かる。
聖書は先に『何よりも陰険』な心が悪いと教える。
『それは直らない』とある。人には自浄能力がない。もう手の打ちようがない。
人の心『見えないもの』を造られたのは『万物は御子にあって造られた』とあるようにイエス様になる。
人が罪を犯す、悪いことをするのは先に『何よりも陰険』な心が原因と聖書はさとす。
この人の心『見えないもの』を造られたのは『万物は御子にあって造られた』とあるようにイエス様になる。
人の心、魂はこの御方の領域になる。私たちの心を癒すことのできる方はイエス様だけ。
『まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。』(ヘブル9:14)
『主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。』(ロマ4:25)あなたもイエス・キリスト様を信じませんか。『光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいるのです。』(第一ヨハネ1:9)