シロアムの塔はエルサレムの城壁の上にあったと思われる。それは給水の為に建てられものだ。
その塔が倒れる悲惨な事故が発生した。
その時、十八人が命を落としたというからかなりの惨事だったようだ。
人は勝手なことを言う。
風評が広がった。誰よりも罪深い者十八人が天罰にあって死 んだと人々は言うのだった。
何の根拠もない。
そうしたものの見方をする人こそ『だれよりも罪深い人たち』に違いない。
人の命、寿命は神様がお決めになるもの。
自分の命は自分のものと当り前のように考えている人もいるが、それは間違っている。本当は神様から一時的に譲り受けたものが正解だろう。
自分の命は自分のものと当り前のように考えている人もいるが、本当は神様から一時的に譲り受けたものだろう。
聖書は教える.
『自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したりしてはいけません。また、からだのことで、何を着ようか と心配してはいけません』(マタイ6:25)
『あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか』(マタイ 6:27)
ある金持ちの畑が豊作であった。・・・自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ」しかし神は彼に言われた。「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる』(ルカ12:16-20)
『すべての 営みには時とさばきがある。人に降りかかるわざわいが多いからだ。何が起こるかを知っている者はいない。いつ起こるかをだれも告げることはできない。風を 支配し、風を止めることのできる人はいない。死の日も支配することはできない。この戦いから放免される者はいない』(伝道者の書8:6-8)
だからイエス 様はおっしゃる。
『あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます』
『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばはまことでありそのまま受け入れるに値するものです』(第Ⅰテモテ1:15)