一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。ヘブル2章15節
死の三法則というものがある。死は平等である。王様も農民も、富める者も貧しい者も、学者も生徒も、老人も若者も、オリンピック選手も野球選手も力持ちも皆、誰もがいつの日か死ぬ。この世は生まれた時から、いや生まれる前から平等とはとても思えない現実がある。奴隷の家に生まれた子、貴族の子として生まれた子,貧しい農夫の家に生まれた子、盲人として生まれた子、足のない子・・でも死だけは平等なんだ。死の三法則。死は孤独である。たくさんのしもべや家来、家族に見守られて宮殿で死を迎える王様も街のどこかで誰にも知られずに死んで行く物乞いも、死ぬ時はやっぱり一人なんだ。大切な家族に両手をしっかり握られても一緒には行けない。一人で死の旅立ちをしなければならない。この死の苦しみ、恐怖、孤独を一体誰が分かってくれるだろうか。生きている者には未知の出来事なんだ。死の三法則。死は現実である。生まれたからには誰にもいつか死の日がやって来る。更に厄介なのはその日がいつなのか私たちには分からない点なんだ。人の寿命は医者も学者も知れない。一番知りたがっている本人でさえも分からない。これほどの恐怖が他にあるだろうか。死の三法則とはよく言ったものだ。聖書を信仰する者として更にもう一つ加えたいことがある。死は終わりでないこと。消滅でも無でもない。お墓の中で何もしないでいることでもない。死は永遠の始まりと言う訳だ。『死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた』【黙示録20章12節】イエス・キリスト様は私たちをこの死の恐怖から解放してくださったと聖書は教える。『イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです』【ヨハネの福音書11章25節】