この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。 世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。(使徒 4:12)
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人が罪から救われるにはキリスト様のほかに道はありません。それが聖書の教えです。
世の中には立派な方がたくさんおられます。東北で復興のボランティアしておられる方々。私財を投げ出して孤児院を立てた篤志家。冤罪の方を助けた弁護士さんなどなど。
そのような行いには大変感銘を受けますし、また、励まされもします。
こうした人々にもキリスト様の救いが必要なのでしょうか?
このような方たちが死後に裁かれるようなことはあるのでしょうか?
聖書の次の箇所をご覧ください。
《人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。箴言14:12》
人の目には《まっすぐに見える道がある》のです。そして聖書は、良い行いをすることで人は天の御国へ入ることは出来ない。
罪の赦しは別にあるのだと教えます。
使徒パウロの言葉に耳を傾けてください。
《私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ローマ人への手紙 5:6〜8》
ですから、どうかイエス・キリスト様のみ救いを受け入れて下さい。
《きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。ヘブル人への手紙 4:7》
《今は恵みの時、見よ、今は救の日である。Ⅱコリント6:2》
《
地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。イザヤ書 45:22》