人間は生きているようで本当は死んでいる。今は死の執行猶予期間ということになる。しばし例えに出されるのが切り花だ。
花瓶に生けられた花。
「なんてみごとな花でしょう。生き生きしています」
「いや、もう死んでいますよ」
「そんなことございません。ちゃんと生きています。」
「では調べてみましょう。」
「まずは花びら。しっかり開いています。」
「生きている証拠ですネ。」
「では葉はどうでしょう。しおれていませんね。」
「やっぱり言ったとおり生きています。」
「次に茎。ここも水を一杯吸い上げています。順番に根もとの辺りも見て行きましょう。勢いよく吸い上げていますね。」
「命がみなぎっているようです・・あ!切れている。」
「当たり前です。切り花とはそういうものです。まだこの花、生きていると思いますか?」
「いいえ、死んでいます。」
・・数日後、あんなに綺麗で生き生きしていた花瓶の花は勢いをなくし、しおれ、茶色に変色し、嫌なにおいを放つようになった。花は花瓶から抜き取られごみに捨てられるのだった。
私たちは生きているようで実は命の源に繋がっていないのです。切り花と同じように暫く生きているようでも命から切り取られて死んでいるのです。
『あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現われて、それから消えてしまう霧に過ぎません。』(ヤコブ4の14)
『神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。』(ローマ書6の23)