2016.6

父よ。彼らをお赦しください。

彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。 ルカ23章34節

 

イエス様は十字架の上で七つのお言葉を話された。どれも大変意味深いお言葉だった。

文頭のお言葉は最初のものだ。

 

一番目。

人は皆が神の赦しを必要としている。『というのは、不義をもって真理をはばんでいる人のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです』(ロマ1:18)神様は私たちの罪に怒っておられる。

 

『なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。というのは、神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです』(ロマ1:19-21)

 

生まれながらの人は何もしなければ『神の激しい怒り』(黙14:19)の中に投げ入れられる。こうした私たち罪人に対して神様は赦しの方法を示された。

 

『そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に—―それというのも全人罪を犯したからです』(ロマ5:12)

 

聖書は全人類が罪を犯したと教える。『こういうわけで、ちょうど一つの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、一つの義の行為によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです』(ロマ5:18)『しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

 

ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。』 (ロマ5:8,9)イエス・キリスト様の十字架の死は全人類の救いの始まりという訳だ。

 

二番目。ところが人はイエス様の十字架の意味が全く分かっていない。十字架のイエス様を見て人々は罵り、あざける之だった。ある者は『十字架から降りて来い』(マタ27:40)とか『神の子なら、自分を救ってみろ』()とか『他人は救ったが、自分は救えない』(マル15:31)とか勝手なことを言った。ここでイエス様が本当に十字架の御業を途中で放棄なさったら全人類の贖いは失敗ということになる。イエス様の十字架の犠牲は私たち罪人の身代わりなのだ。

 

三番目。言うまでもなくここに神様の愛がある。罵る者。あざけ者。勝手なことをい者らに対してイエス様がなさったことは赦しの祈りだった。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです』(ルカ23:34)。私たちがすることはこの御救いを感謝して受け取ることではないか。

 

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