神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。(1コリント1:9)
①本来、罪人は神を見ることも近づくこともできなません。
《ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。》(1テモテ6:16)
しかし、神の子キリストは私たち罪びとを親しくお招きくださいました。
主イエスはおっしゃっいました。「来なさい。そうすればわかります。」(ヨハネ1:39)
②主キリストを見ることで、人は自分の心がいかに汚れ腐っているを確かめることができます。
《「キリストは罪を犯すことがなく、その口に何の偽りも見出されませんでした。」》(1ペテロ2:22)
《 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。》(1ヨハネ1:8)
③私たちは聖書を読むことによって主キリスト出会うことができます。そして、聖書は神の言葉です。
《神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。》(ヘブル4:12)
聖書の中で主キリストは言われます。
《すべてすべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。》(マタイ11:28)
《イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。》(ヨハネ6:35)
①すべての人間は神の前において罪びとである。
ローマ3:9
では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。
詩篇14:1~3
愚か者は心の中で、「神はいない」と言っている。
彼らは腐っており、忌まわしい事を行っている。
善を行う者はいない。主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。善を行う者はいない。ひとりもいない。
※全ての人は、神の基準に達していない。
ローマ3:10
それは、次のように書いてあるとおりです。
「義人はいない。ひとりもいない。
②アダムが罪を犯したので全人類の中に罪が入った。
ローマ5:12
そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。
③全世界は神から罪の宣告を受け怒りと呪いの下にある。
ヨハネ3:36
御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
エペソ2:1~3
あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
④人間の性質は知的、道徳的、霊的、肉体的に罪の悲惨な影響を受けている。
エペソ4:18、19
彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。道徳的に無感覚となった彼らは、好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行いをむさぼるようになっています。
テトス1:15、16
きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。彼らは、神を知っていると口では言いますが、行いでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。
エレミヤ17:9
またわたしは、包囲と、彼らの敵、いのちをねらう者がもたらす窮乏のために、彼らに自分の息子の肉、娘の肉を食べさせる。彼らは互いにその友の肉を食べ合う。』
①~④から、生まれながらの人間は神様を愛することができない、と言える。
また、人間は、神様に反感を抱いている、とも言える。
聖書は人間は常に堕落しようとする性質を持っている、とも書いてある。
ローマ7:18、19
私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。
よって、人のうちに救われる、方法は何もない。
キリストイエスを信じる信仰によってのみ救われる。
ローマ3:23~26
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。
人間の堕落について・その3
➀堕落の結果、人間とこの世はどうなったのか。
《神である主は蛇に仰せられた。
「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。
彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」》(創世記3:14.15)
世界の混乱
・呪いと敵対心と戦い
・呪われる。敵意。踏み砕き。噛みつく。
自然界は、人間を苦しめ、人の手に負えない威力を示すようになった。
本来、人が、自然を管理し、守るものであった。
《それなのに、今でもなお、私たちはすべてのものが人間に従わせられているのを見てはいません。》(ヘブル2:8)
➁土地の不具合
《土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」》(創世記3:18.19)
※人は、正しく管理できなくなった。
今、私たちが見る世界は、狂わされた世界である。
・肉体的な死、精神的な死を招いた。
《アダムは全部で九百三十年生きた。こうして彼は死んだ。》(創世記5:5)
《そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。》(ローマ5:12)
➂女性は子を産む苦しみと痛みを持つようになった。
《女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのうめきと苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」》(創世記3:16)
・男性と女性には、深い溝ができた。
➀➁➂より、人と神は断絶を持った。
《そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。》(創世記3:23.24)
人は、間違った神認識を持った。
《それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。》(ローマ1:25)
《また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。彼らは、そのようなことを行えば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行っているだけでなく、それを行う者に心から同意しているのです。》(ローマ1:28~32)
※それでも人には神様が備えた希望がある。
《しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。》(ローマ5:8)
♰《神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。》(創世記2章16節)
・始めの人間アダムとエバは自由な道徳的行為者として存在していた。
・ここにあるように、思いのまま食べてよい、とある。
・人間は、自分の自由の意を持っていた。
・それは、罪を犯さないことが可能であったが、罪を犯すことも可能であること を言う。
♰《神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはう すべてのものを支配するように。」》(創世記1章26節)
・人間は神のかたちにつくられた。よって、はじめの二人の人間の性質の中には、罪は存在しなかった。
♰《あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。》(ヨハネ8章44節)
・もともと、罪は外部から侵入してきた。それを持ちこんだのがサタンである。
♰《罪を犯している者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。》(1ヨハネ3章8節)
《そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。》(創世記3章6.7節)
・サタンは神に逆らうものである。その性質を人間に与えた。
・人間は神に聞き従うより、サタンのことばを信じたのである。
♰《世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行う者は、いつまでもながらえます。》(1ヨハネ2章15~17節)
《彼らはこの世の者です。ですから、この世のことばを語り、この世もまた彼らの言うことに耳を傾けます。》(1ヨハネ4章5節)
・現在の人間も、神の言葉を信じるよりも、サタンの言葉に耳を貸すものである。
これは、キリスト教だけの考えではありません。
他の宗教もこれについて扱っています。
聖書は人間の堕落を詳細に記録しています。
《そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。
というのは、律法が与えられるまでの時期にも罪は世にあったからです。しかし罪は、何かの律法がなければ、認められないものです。
ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々をさえ支配しました。アダムはきたるべき方のひな型です。
ただし、恵みには違反の場合とは違う点があります。もしひとりの違反によって多くの人が死んだとすれば、それにもまして、神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。
また、賜物には、罪を犯したひとりによる場合と違った点があります。さばきの場合は、一つの違反のために罪に定められたのですが、恵みの場合は、多くの違反が義と認められるからです。
もしひとりの違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりのイエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。
こういうわけで、ちょうどひとりの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、ひとりの義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられるのです。
すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。》
(ローマ5:12~19)
《主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。》(創世記6:5)
《主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。》(創世記8:21)
創世記3章を見ると、罪はすでにこの前から存在していたことがわかる
サタンの実在がそれを表している。
サタンがもたらした罪を人類は引き受けたのである。
創造された人間は、本来下記のような状態である
《 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。》(創世記1:26、27)
それが、創世記6章5、6節の様になってしまった。《 主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。 それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。》
創世記2章以降、完全無欠な人間はいない。
聖書は神に対する反逆と腐敗しきった人間の姿を記している。
それゆえ、人は、主イエス・キリストの十字架の贖いが必要なのであり、これ以外に救われる方法はありません。
《キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。》(Ⅰテモテ1:15)
今月は、私たち人間について考えてみましょう。
①人間は、他の生き物から進化して、偶然人間になったのではありません。
聖書にはこうあります。
《しかし神は、みこころに従って、それにからだを与え、おのおのの種にそれぞれのからだをお与えになります。すべての肉が同じではなく、人間の肉もあり、獣の肉もあり、鳥の肉もあり、魚の肉もあります。》(コリント人への手紙 第一15章38、39節)
《人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造り になったから。》(9章6節)
《そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。
《神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。》(使徒の働き17章29、30節)
※よって、神の形とは外観的なものではなく知識、義、聖に基づいて、道徳的、倫理的意味である。
※今月はキリスト様の復活と弟子たちの関係を見ていきましょう。
①使徒たちはキリスト様が復活したことを繰り返し伝えました。それは自分たちが、目撃したという事実があるからです。
何と《私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました。》と証しています。
《すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現された」と言っていた。彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった次第を話した。これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真ん中に立たれた。彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。》(ルカ24:33~43)
《イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。》(使徒1:3)
《ですから、主イエスが私たちといっしょに生活された間、すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。》(使徒1:21~22)
➁使徒たちは命を懸けてキリスト様の復活を伝えた。新約時代の聖徒たちは肉体の復活を信じていた。
《事実、ヘロデとポンテオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民といっしょに、あなたが油をそそがれた、あなたの聖なるしもべイエスに逆らってこの都に集まり、あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行いました。主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行わせてください。」彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。》(使徒4:27~31)
《使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。》(使徒4:33)
《訴えた者たちは立ち上がりましたが、私が予期していたような犯罪についての訴えは何一つ申し立てませんでした。ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張 しているのでした。》
(使徒25:18.19)
➂キリスト様を十字架にかけたユダヤ指導者たちも使徒たちがキリスト様のよみがえりを堅く信じていたことを認めていた。
《彼らが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやって来たが、この人たちは、ペテロとヨハネが民を教え、イエスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えているのに、困り果て、彼らに手をかけて捕らえた。そして翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。しかし、みことばを聞いた人々が大ぜい信じ、男の数が五千人ほどになった。》
(使徒4:1~4)
④復活の承認は十分な数でなければならなかった。
《私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました。》と証しています。
《また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。》(Ⅰコリント15章5~8)
ここでは、キリストは《五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。》と書いてあります。
このほかにも、エルサレムからついてきた3人の女たちの前に現れてくださいました。
《さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。》
(マルコの福音書16:1)
《そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。すると、イエスは言われた。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」》
(マタイ28:8~10)
⑤キリスト様の復活を証言した弟子たちは、人望のある人々だった。弟子たちを攻撃したユダヤ指導者たちは彼らをりんりてきな見地から攻撃していない。また、民衆も彼らの人望を受け入れていた。
《彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。》(使徒4:13)
《また、使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行われた。みなは一つ心になってソロモンの廊にいた。ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。》
(使徒5:12.13)
《宮の守衛長や祭司長たちは、このことばを聞いて、いったいこれはどうなって行くのかと、使徒たちのことで当惑した。そこへ、ある人がやって来て、「大変です。あなたがたが牢に入れた人たちが、宮の中に立って、人々を教えています」と告げた。そこで、宮の守衛長は役人たちといっしょに出て行き、使徒たちを連れて来た。しかし、手荒なことはしなかった。人々に石で打ち殺されるのを恐れたからである。》(使徒5:24~26)
《彼らはこれを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った。ところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。それから、議員たちに向かってこう言った。「イスラエルの皆さん。この人々をどう扱うか、よく気をつけてください。というのは、先ごろチゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほどありましたが、結局、彼は殺され、従った者はみな散らされて、あとかたもなくなりました。その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、従った者たちもみな散らされてしまいました。そこで今、あなたがたに申したいのです。あの人たちから手を引き、放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。しかし、もし神から出たものならば、あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」彼らは彼に説得され、使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。》(使徒5:33~40)
キリスト様の復活を信じることの重要性
①罪からの救いに直接つながります ローマ人への手紙10章
9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、 あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせ てくださったと信じるなら、あなたは救われるからで す。
10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
②復活はキリスト信仰の根幹の教理です。
コリント人への手紙 第一1 5章
12 ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。
13 もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。
14 そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。
17 キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためでは なく、福音を宣べ伝えさせるためです。それも、キリストの十字架がむなし くならないために、ことばの知恵によってはならないのです。
18 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私 たちには、神の力です。
19 それは、こう書いてあるからです。
「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」
③福音は突き詰めて言うならば、キリスト様が復活したことを伝えています。
使徒の働き2章24
しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。
④復活の事実は神が御子イエスを受け入れられたあかしである。それ故に神の右 に高く上げられた。
エペソ人への手紙1章
20 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、
21 すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。
⑤復活は信じる者に聖霊を与える約束です。
使徒の働き2章
32 神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
33ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受け て、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。
⑥復活は聖書の他の奇跡を証明するものです。
ヨハネの福音書21章
24 これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、 その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知って いる。
25 イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちい ち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思 う。
⑦キリスト様の復活は救いを完成させました。
ローマ人への手紙5章
8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んで くださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
9 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
10 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。
キリスト様の復活は私たちに7つことを教えている。
① ご自身が神様であられること。
聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。(ローマ1:4)
② 信じる者を義とされた。
また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。
主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。(ローマ4: 24、25)
③ 天において大祭司としてのとりなしをしておられる。
罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。(ローマ8:34)
しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。(ヘブル7:24、25)
④ 復活によって神の偉大なお力を示された。
また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。(エペソ1: 19、20、21)
⑤ 信じる者が新しい体へ復活することを保障された。
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。(Ⅰコリント15: 51、52)
⑥ 同時に罪びとも永遠の裁きのために復活することを教えられた。
また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。(使徒24:15)
また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。(黙示20:12)
⑦ 全世界の来るべき審判の日があることを教えられた。
なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」(使徒17:31)
新年あけましておめでとうございます。
今年のイースターは4/17です。
1月から4月の4回にわたって、復活について考えていきましょう。
1月はキリスト信仰と復活について7つ見ます。
❶クリスチャン信仰の土台はイエス・キリスト様の復活である。
≪そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。
それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。≫(Ⅰコリント15:14.15)
❷復活は福音の中心です。
≪兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。
また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。
私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと≫(Ⅰコリント15:1~4)
❸反対者もキリストの復活がキリスト信仰の重要な位置づけと知っている。
≪女たちが行き着かないうちに、もう、数人の番兵が都に来て、起こった事を全部、祭司長たちに報告した。
そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、
こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った』と言うのだ。もし、このことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」そこで、彼らは金をもらって、指図されたとおりにした。それで、この話が広くユダヤ人の間に広まって今日に及んでいる。≫(マタイ28:10~15)
❹新約聖書の中心はキリスト様の復活を100回以上記している。
≪使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。≫(使徒4:33)
≪ 私たちの父祖たちの神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。≫(使徒5:30)
❺キリスト様の復活はご自身が神であられることを証する
≪ あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。 しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。 ≫(使徒2:23、24)
≪ しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。≫(Ⅰヨハネ5:20)
❻キリスト様の復活はこの方が永遠の裁き主であることを証する
≪ なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。≫(使徒17:31)
❼キリスト様の復活は人間の復活も示している。
≪しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。≫(Ⅰコリント20:20~23)