イースター。
イエス・キリスト様の復活。これはキリスト教会の土台、基礎になる。
イエス様の復活がなぜ大切なになるのか。四つ考えたい。
一番目。十字架で死なれたイエス様は墓の中から復活されて今も生きていらっしゃるということだ。イエス様はこうおっしゃる。『恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている』(黙示録1章17,18)こうしたことを宣言できるのはイエス様が神様だということだ。
二番目。キリスト様が復活なさったのは私たちの罪が許されためだ。『すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです』(ローマ4章24,25節)『もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです』(第一コリント15章17節)。
三番目。御復活はキリスト様がさばき主ということだ。『神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人のお与えになったのです』(使徒17章31節)神様を信じない人もキリスト様の復活をあざ笑う人も『心の中で「神はいない」と言っている』(詩篇14章1節)人もいずれの日かイエス様の裁きの前に立つことになる。『死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物が開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じて裁かれた』(黙示録20章12節)。キリスト様の復活は私たちに何を教えているか。
四番目。それは人は死んで終わりではないということだ。『このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。 善を行った者は、よみがえっていのちを受け、悪を行った者は、よみがえってさばきを受けるのです。』(ヨハネ伝5章28,29節)それでもキリスト様の復活はあなたと関係ないですか。イエス・キリスト様は私たちの罪の身代わりになって十字架で死なれました。『葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと』(第一コリント15章4節)
聖書によれば、誰でもイエス・キリスト様を自分の罪からの救い主であると信じ受け入れれば、天の御国へ入ることができると書いてあります。あなたもぜひ信じてください