人間は二つの世界、宇宙を持っている。
一つは外なる世界、宇宙。つまり私たちが見ているところのものだ。
『初めに、神が天と地を創造した』(創1:1)
神様がお造りなさった世界は広くて、深くて,緻密で、繊細で計り知れない。
果てしのない宇宙。緻密な星座。自然。
『日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込む所に、また流れる』(伝1:5-7)
神さまがお造りなさった世界、宇宙、自然を見る時、私たち人間は只々圧倒されるばかりだ。
『神が天を堅く立て、深淵の面に円を描かれたとき、わたしはそこにいた。神が上』のほうに大空を固め、深淵の源を堅く定め、海にその境界を置き、水がその堺をこえないようにし、地の基を定められたとき、わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しみ、神の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んだ』(箴言8:27-31)
私たちにはもう一つの世界がある。
『神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった』(創2:7)。
神様は人間だけに『いのちの息を吹き込まれた』。
人の心、たましいは深くて広い。繊細で計り知れない。
ヤコブ書は深い井戸の中から 水を汲み出すように言葉を出すと言う。
またマルコ伝はこう記す。『人から出る者、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、色好、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです』(マルコ7:20-23)
こんなにいっぱい悪いものを詰め込んでも私たちの心は弾けない。
人の心、たましいは深くて、広くて、繊細で、計り知れない。神様の『息』が吹き込まれている。
聖書は教える。私たちの心、魂は崩れていると。
『それでわたしは、あなたがたが自分の罪の中で死ぬと、あなた方に言ったのです。もしあなたがたが、わたしのことを信じなければ、あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです』(ヨハネ8:24)
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』(ヨハネ3:16)